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台北機廠の前身は、19世紀の清朝末期に置かれた「台北機器局」にまで遡ることができます。当初は現在の北門城外である鄭州路と塔城街の一帯に位置し、兵器を修理するための軍需工場として使われていましたが、日本統治時代初期に、鉄道車両の修理工場「台北鉄道工場」に生まれ変わりました。その後、西部の鉄道網が順次完成していくのに伴い、工場を拡大する必要に迫られ、台湾の南北を結ぶ縦貫線上の興雅庄(松山区)に新工場を設置することになりました。新工場は、約20ヘクタールの敷地に総合事務棟、組立工場、鍛冶工場、客車工場、塗装工場などの大型施設が建設され、1935年10月30日に落成・運用開始となりました。当時は台湾最大の鉄道車両工場でした。

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第二次世界大戦中、台湾の鉄道は激しい戦火に見舞われました。台北鉄道工場も幾度となくアメリカ軍の空爆を受け、多くの死傷者が出るとともに、工場施設にも甚大な被害が生じました。終戦後、職員たちが総力を挙げて工場の稼働を維持し、組織名も「台湾鉄路管理局 台北機廠」へと改められました。


1950年に朝鮮戦争が勃発すると、アメリカによる台湾への経済援助が進み、この支援によるプロジェクトの一環として、台北機廠に新たにディーゼル機関車工場と新車工場が建設されました。
日本統治時代の蒸気機関車から各種客車・貨車、1960年代のディーゼル機関車、1979年の電化後の電気機関車や電車に至るまで、あらゆる車両を整備してきた台北機廠は、まさに台湾の鉄道発展史を象徴する存在です。

1997年以降、台北機廠は多くの蒸気機関車を修復し、伝説を再現してきました。2013年の移転前までは、電力、ディーゼル、車両、修繕製作の4大エリアと12の工場で構成されていました。しかし時代の移り変わりとともに都市環境も変化し、台北市街地の鉄道地下化や台湾高速鉄道の路線計画に対応するため、台北機廠の機能は2013年に富岡車両基地(桃園市楊梅区富岡)へ移転。これにより工場の長い歴史に幕を下ろすことになりました。


台北機廠は、台湾に現存するなかで最も歴史が古く、完全な規模を誇る鉄道工場であるだけでなく、台北市が農業社会から工業、そして商業都市へと変貌を遂げた百年の歩みを見守ってきた重要な場所でもあります。2015年には、その全域が国定古蹟(国が定める文化財)に指定され、2019年8月には「国家鉄道博物館準備処」が設立されました。幾世代にもわたって工業技術が継承、蓄積されてきたこの工場が、今まさに、国家鉄道博物館へと生まれ変わろうとしています。


清朝時代の台北機器局(1885~1895)
台北兵器修理所と砲兵工廠(1895~1900)
河溝頭期の台北鉄道工場(1900~1934)
松山台北鉄道工場(1935~1945)
第二次世界大戦後初期の台北機廠(1945~1950)
アメリカ支援期の台北機廠(1951~1964)
世界銀行融資期の台北機廠(1965~1972)
国家経済建設期の台北機廠(1973~2011)
文化資産保護期の台北機廠(2011~2015)
国家鉄道博物館への転換期(2016~現在)